私の母は自殺した を書いてみて
以前の記事を更新してから2ヵ月経ってた。
元々ブログを書くたびに重い腰を上げていたのだが、まったく書く意欲がなくなってしまった。
趣味のベースが楽しいとか疲れているからとかいろいろ理由はあるけれど、一番は前の記事を書いて満足してしまったのだろうということだ。
私はきっと不特定多数の人に母親が亡くなって悲しいんです!
しかも自然死じゃないんです!自殺なんです!どうです、かわいそうでしょう!
悲しいんです私は!だからかわいそうと言ってくれ!
みたいな意識がきっとあって、だからリアルでも会う人のうち何人かにはうちの母は自殺なんです、などと軽く言葉にしてそのたびに涙を流していた。
きっとそれだけじゃ足りなかったのだろう。
母が亡くなった当時はtwitterもfacebookも流行っていなくて、SNSといえばmixiだった。リアルの友人がほとんどだったが、そこに記事を書いては消し、書いては消しを繰り返した。ネットに書きこんでしまうと、自己承認欲求つえーなーと思われると思って書けなかった。
でも結局書いた。でも書いたのはSNSじゃなくてブログでよかったと思った。
前の記事はtwitterに拡散してしまって、結局何人かリアルな友人にも見られたのだけど、mixiやfacebookに書かなくてよかった。そこにはほぼリアルな友人しかいない。リアルな友人のほとんどにその感情をぶつけるのはちょっとやりすぎな気がする。
で、結局ブログに書き込んだことで自分としてはすっきりしてしまった。欲望を消化したんだと思った。思えば書き方もかわいそうと思って欲しいを全面に押し出したような書き方になっている。正直、自分の体験が自殺を抑えられればとは思っているけどそれほどでもない。見ず知らずの誰かに自殺を抑えられることはできるのだろうか。
自分よりも上手い書き方で、より人の心に訴えられる記事なんて自殺に関することに限らず、世の中にたくさんある。ただの自己満足にすぎないということを書いてみて思った。