いぬいの方角

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私の母は自殺した~七回忌を迎えて当時を振り返る~

来週6月18日でちょうど母の七回忌を迎えます。

母が死んだとき、私はとっくに成人を迎えていて、働いていて、後輩もいて。なので母の死が自分の性格に劇的な影響を与えることはそれほどなかったと思っています。少なくとも、母の生前と死後とで、自分の性格が変わったという自覚はありません。

 

世の中の自死遺族の方の多くはきっと家族が自殺した…なんて自分から口にすることができる人は少ないでしょう。なぜなら話すたびに「自分には何もできなかった、何も気づかなかった、あのとき気付いていれば、あのときこうしていれば…」と激しい後悔に襲われるからです。また家族に自殺者がいるなんて話せば、この家族には問題があるんじゃないかなんて思われたり世間体が悪いと思う人もいて話せないと思います。

 

しかし、私は母の死後、母が自殺したことを他人に話すことにはあまり抵抗はありませんでした。話す人は絞ったつもりですが、話す必要のない人にも話してしまったなという後悔はありました。それでもかなりオープンな方だったと思います。きっと悲劇のヒーローを気取っていただけで、母が亡くなって私はこんなにかわいそう、これをアピールしたいに過ぎなかったかもしれません。

それでも話すときにはあなたの知り合いには家族が自殺した人間がここにいる、もしあなたが自殺したいと思ったときに、何かの拍子でも知り合いに家族が自殺した人間がいて、それでも生きていることを思い出してくれれば…とずっと思ってきました。

SNSにも書きたいと思ってきたけど、mixifacebookはあまりにクローズドな世界なので、対面で直接話す以上に書きこむことに抵抗があったので、できませんでした。

今回はブログという不特定多数に向けての媒体を始めていたこともあり、またちょうど七回忌を迎えることもあり、私の体験を書こうと思います。

この記事を偶然見た方が自死遺族について考えて頂ける機会になればいいかなぁ。

 

 

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私の母は自殺した。家の中で首を吊っていたそうだ。

遺書はない。父が帰ってきて発見した。下ろしたのも父だった。

 

母は鬱だった。きっかけはどこかのエステに行ったときに毛穴が開いてますねと担当者に言われたことがショックだったらしい。それから異常に毛穴が開いていることを気にするようになった。私や兄や父には全くわからなかった。いつも通りだった。

あまりに気にする母に皮膚科はさじを投げた。精神科を勧められたらしい。それが拍車をかけた。毛穴がつねに開いていると思い、素顔を人に見せられなくなった。常にマスクをつけるようになった。外出する回数がどんどん減っていった。単身赴任だった父が家に戻ってきた。私は家を出て働くようになった。兄は既に家を出ていた。

父が母を診ていた。父も仕事で帰ってくるのが遅かった。だから親戚の家で母を預かってもらった。ちょっとは良くなったと思っていた。家に戻ってきて1ヶ月も経たない間の出来事だった。

 

 

平日夜9時ごろだった。私は一人営業所で仕事をしていた。見積りを作っていてもう少しで完成というところだった。

かばんの中でケータイが鳴った。父からの電話だった。珍しいなと思い電話に出ると、父はあわてた声でごめんと謝り、母が首を吊っていたことを伝えた。

私は父が何を言っているのかわからなかった。ほんの4日前、日曜日に私と母と父と珍しく3人でボウリングに行ったばかりですけど。父が言いだして、母が珍しく応じてくれて、ほんの4日前の出来事だった。

 

 

 

電話を終えた私はすぐに会社を出ることはせず、見積書を客先にFAXし、最低限の書類を作成して15分くらいで営業所を出た。戸締りも当然忘れなかった。人は意外と冷静になれるものだとそのときに思った。

上司・先輩にすぐに電話をした。当時寮に住んでいた私は実家に帰ります、母が自殺したらしい、そう伝えた。口に出したら急に涙があふれて止まらなかった。

 

 

帰ったら最低限の荷物を持って車で家に向かった。高速に乗ればいいのにいつも下道で帰っていたからか、このときも高速に乗ることが全く思いつかず、途中で高速に乗った。このとき人はどんなにあわてていても習慣となっている行動をしてしまうのだと思った。今までにないスピードで高速を走った。

高速を降りるあたりで父に電話した。母はどんな状態なのか聞いた。ちゃんと病院に連れていったのかと。父は何もしていないと言った。私はなぜ放置するのかと怒った。すでに父が下ろしたときには息を引き取っていたというのだ。最初の電話では私は下ろしたとき母はまだ生きている可能性がある、とそう解釈していた。そう思いたかったのだ。

 

 

 

家の前まで救急車ではなくパトカーが停まっていた。100M程離れた畑に車を停めて、家まで全力で走った。既に親戚も集まっていた。奥の居間に案内された。

布団で静かに眠る母の姿があった。首筋にはくっきりとロープの痕が残っていた。

頬は冷たく顔は白かった。

 

 

 

 

ある程度泣き疲れて落ち着いたころ、警察が来ていたことについて考えていた。自殺は普通の死に方ではない。変死扱いになる。だから警察で調査が必要なのだ。

そう考えたとき、毎年自殺者が3万人を越えたと言う人数に今年は私の母も含まれるのかとぼんやり考えていた。

 

 

 

続く

 

 

合わせて読んでほしい。

むしろ私のなんかよりこちらを読んでほしい。

この記事を読んでいつか自分のブログでも自死遺族について、自分の体験を書こうかなと思いました。

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