いぬいの方角

出来事について、趣味について、思ったことについて

過去を割り切るのは難しい話

ある会社が求人を出した。

それは近年メディアでも取り上げられる勢いのある会社。

そこに応募しようと思った。

今の会社が嫌だからという理由もあるけれど、社会貢献している同級生がうらやましかった。単純にすごいと思った。同じ環境で働きたいとそう思った。

 

会社で取っている新聞にそいつの記事が載っていた。

最初は気づかなかったけど、プロフィールと名前を見て気がついた。

そいつとは仲が良かったわけじゃない。というか高校はクラスに友達が1人もいなかった。できなかった。だからいまさら会っても向こうはきっと覚えていないし、覚えていたとしても、仲良くハイタッチでもして「よぉ!」なんて挨拶はできやしない。

だからたとえ採用されたとして一緒に働くことなんてできるのか?とも思う。

でもあれから十数年経ってるし、お互い大人やしひょっとしたら昔と違って仲良くなれるかも…なんて淡い期待もある。

 

応募の課題としてレポートが出された。今までその会社で求人があった時のために準備していたとかならいざ知らず、何も考えずに生きてきている自分には多少荷が重いうえ、知らない分野でのレポートだ。

本を読んだりネットを読んだりそれこそにわかで知識を集めるけど、会社のイメージを掴むためにそこの商品を買いに行こう。実際に店頭も見て、スタッフも見て、イメージをつかもう。そう思ってその会社の店舗に行ってみた。

完全に思い立っての行動だった。

今日の朝には行こうなんて全く考えてなかったんだから。

仕事ではウジウジ考えて動けないくせに自分だけのこととなると行動力を発揮するのが自分。会社を強引に定時であがって電車に乗り込む。

 

行きながらも悩んでいた。書類審査も通る前からお店に行ってどうする?

まずは書類をちゃんと書きあげるのが先だろう?そのために例えにわかであっても自分の考え方をまとめたり、そのために本や雑誌で勉強したりする方が先だろう?と。

でも店舗に行くこと自体はリスクはない。損するのは電車代の数百円のみ。

そんなの損でもなんでもない。実際に見て掴めるイメージに比べたら。

そう思って自分の行動を正当化することにした。

 

最寄り駅につき、店舗まで歩く。場所は調べ済み。

閉店が近い。もしかしたら、その同級生が店舗にいるかもしれない。

いたらどうしよう。でも構うか、ここまで来たんだから。

大通りから路地に入ってすぐのところにその店はあった。

着道路を挟んで店舗を正面から見た。

 

 

 

そこにはかつての同級生の姿があった。店舗の中で作業していた。

姿を確認した瞬間「いた」と思った。反射的に踵を返して大通りに戻っていた。

無理だった。恐らく向こうは覚えていない。でも話をしているうちに思い出すかもしれない。どんな反応をされるかわからない。そんなの怖くてたまらなかった。

過剰なまでの自意識が自分の弱点だと思う。

きっと高校生のときもそれが強すぎて友好的な関係が築けなかったのかなと思う。

 

面接でもない段階から顔を合わせるのを怖がっていて、どうやって履歴書を遅れる?

どうしたらそんな相手に自分の職歴をさらせる?自分より何倍もすごいと思っている相手に?ちっぽけな自尊心でも今や立派に自分のアイデンティティの1つとなってしまっている。容易に崩せるもんじゃない。

 

結局、とぼとぼと家路に着いた。そんなに苦手なら何も一緒に働かなくてもいいじゃないか。今までの経験で分かったはずだ。働くのに大事なのは何より一緒に働く人だということを。

 

立派にやっている同級生と渡り合うなら自分で、他でやるべきだ。下につく道を選んでどうする。仲良くもなかったくせに。なんて逃げた?理由さえ正当化しているような気がする。

 

今書いて思ったのだが、全ては高校時代にコミュニケーションをうまくとれなかったことが全ての気がする。こんな何年も経ってからそれを時間差で実感したことに驚いている。頑張ったこと・頑張らなかったこと・やったこと・やらなかったことはどれだけ時間が経っても自分に返ってきてしまうようだ。